福井大学医学部

ゲノム科学・微生物学

コラム

動画と部活動(2023年11月)

コロナ禍以降、私たち教員は慣れないオンライン教材の作製に取り組むことになった。初年度の動画を今になって聞いてみると酷い代物だ。この講義を聴いた学生さんは、きっと「微生物」が嫌いになったに違いない。申し訳ない気持ちである。その後私たちも経験を積み、今年の新入生対象のリサーチマッチングでは安心して受講してもらえる動画に仕上がったと思う。昨年末にはPCを買い替え、動画編集アプリも更新したので、今後さらによくなるだろう(たぶん)。ただ、教員は動画作成の素人である。巷のYouTuberには叶わない。動画発信スキルを身に付けるための教員対象のオンライン講義を上層部に提案しているところである。技術の進歩には驚くばかりだ。皆さんのスマホは簡単に動画が撮影できるので、日々の部活動の様々な場面や、競技中の動作を記録してより深く解析したりできるだろう。もし私が学生の頃にスマホがあったら、当時どんな風に活用しただろう。

私が学生時分に真剣に取り組んでいた走幅跳は踏切時の速度×高さで跳躍の可否が決まる。前傾姿勢で加速して、時速30キロ以上で踏切版に突入し左足1本の力で如何に体を持ち上げるか、またその状況で如何に正確にセンチ単位で踏み切るかは難しい課題であった。下を向いて確かめながら踏み切るわけではないので、近づいてくる踏切版をイメージしながらとなる。入学して1年目は母校の高志高校に通って指導を受けたが、その後はそれを繰り返すだけで漫然とした練習をしていたように思う。

あれからずいぶん経つのに未だ忘れられない想い出がある。大学3年、21歳で参加した北九州の西医体、走幅跳1本目の跳躍。十分なスピードで上手く踏切ったが、結果はほんのわずかのファウル。素晴らしい跳躍だった。だがファウルはファウル。

その一年前、2年生の春、私は等しい歩幅を保ちながらピッチを上げて加速する助走を取り入れることにした。やってみると上手に加速できないように感じたが、一方でファウルは確実に減った。スピードが少し遅い分(走幅跳の経験者はわかると思うが)、踏切前の重心移動も容易になった。この年、跳ぶ毎に自己記録を更新し、北五で2位、西医体では優勝した。なぜ良い結果が出たのか、スマホがあれば動画を撮影して詳しく解析してみたかったと思う。ただ当時の陸上部は部員も少なく、その瞬間を記録した写真もない。

3年生になり、成績アップを狙って助走のスピードアップに取り組んだが、踏切版の手前で最後に重心を下げる動作が怖くなった。大学3年の北五では、体が持ち上がらずに砂場へ一直線。地面すれすれの低空飛行。試験前の勉強で睡眠時間を削っていたので何が何だかわからなかった。それから短い期間だったが西医体に向けて踏切練習に取り組んだ。練習でも好記録が出るようになりようやく手ごたえを掴んで、北九州の西医体に参加した。

一本目、大きな跳躍だった。十分の滞空時間を感じながら着地した。快心の跳躍、そう思った次の瞬間「ファウル!」審判の残念な一声とともに、私の着地した痕跡はレーキ(砂場をならす道具)によって消されてしまった。砂場の横に設置されたメジャーを眺めて数値を見ようとしたが、間に合わなかった。どうすればよかったのだろう?踏切前の最後の一歩のリズムを早めて踏み切ることが何故できなかったのか。直前の大会(記録会)でも同じ失敗をしたのに、なぜ繰り返したのか。私は以来ずっとその時の動作について、悔しさを忘れていない。二本目以降、風向きが安定せず、気持ちの切り替えも上手くいかず、踏切も随分手前からで記録は伸びず、西医体連覇の夢は潰えた。

もし今の私がコーチなら、学生だった私に動画を見せながらこうアドバイスするだろう。助走の速度を無理に上げなくても、全力で走ったところで一体何パーセント速度が上がり、それがどのように結果に影響するのか。それよりも重心移動と踏切後の高さ、さらに正確性を乗じて総合的にパフォーマンスを考えよう、と。自分の動作を客観的に見せることで、より理解が深まったと思う。

その後、私は基礎医学の研究室に入門し、放課後の活動は陸上から研究室へと移っていった。2023年こそは、部活動に元の賑わいが戻り、学生諸君が日々の活動の中に想い出がいくつも生まれ、切磋琢磨しながらたくましく成長されることを心から願っている。(2023年1月 陸上部顧問挨拶より一部改変)

研究室配属リブート(2023年1月)

医学部には「基礎配属」あるいは「研究室配属」という科目があり、医学生の「研究マインドの涵養」の中核を担っている。「卒論を必要としないゼミ」のような科目で、教員と医学生がとても間近に交流する機会である。大学によって開講期間は異なるが、多くは臨床実習前であり、大学によっては半年間に及ぶ例もある。また医学研究者を目指すコースのある大学では年単位にまで及び、卒業要件として第一著者の論文を求められている場合もあったように思う。 
福井大学では、当初2カ月間の「基礎配属」として始まったと聞いている。私が赴任した2006年には臨床講座も含めた「研究室配属」と名を変えており、期間も3週間に短縮されていたが、赴任早々、私は大変ショッキングな出来事を経験した。10月に赴任した私の講義と熱意は空回りばかりで、学生とのインタラクションもうまくいっていなかったが、2007年の春になると配属を希望する学生もいて一安心したのもつかの間、いざ実験を始めようと計画を説明したら一斉に「えっ!私たちはそんなつもりで来たのではありません」「いったい何をするんですか?」とのことである。
私が準備した内容は前任地に倣い、当時自分たちが進めていた研究の基礎的な内容で、実験は朝から夕方まで続き、研究室配属の最後には何らかの実験を一人でできることを目指したものであった。夕方といってもアルバイトや部活動の時間までには終了すること、最後には学生グループで発表することをゴールと考えていた。話し合いの結果、この年は輪読会として進めることになったのだが、今でもその出来事は忘れられない。
次の年からは状況も改善し、ある部活動では伝統のように先輩が後輩に声をかけてくれて、高大連携の事業を行う時には一緒に高校生の指導を行うなどの様々な取組を行った。なかには、折角の機会だからと四六時中実験に取り組んでくれた学生もいた。月日は流れ、当研究室のプログラムにも国際交流が大きなウエートを占めるようになった。それも時代の要請だと感じている。ポストコロナの時代になり、基礎系の先生方が集まってこれからの研究室配属について知恵を出し合っている。当研究室のプログラムも令和の時代にふさわしい内容へと昇華させたい。

新型コロナウイルス感染流行と課外活動-この1年(2022年3月)

新型コロナウイルスの流行により、学生の課外活動は大きく制限されることとなりました。福井県及び近隣府県の感染状況に応じて、県内・県外の大会や演奏会、イベント等への参加、本学施設での活動が許可制あるいは禁止となり、大学生活に期待することの一つであったはずの課外活動が十分に出来ない状況が続いています。面談した上級生の先輩達は皆口をそろえて、後輩諸君のことをとても心配し同情しています。私も卒業生として、またかつて本学で主将として課外活動に参加したOBとして、学生諸君の気持ちが痛いほどよくわかります。今年度「学生」担当の副学部長を拝命するに際し、関係の先生方とも相談し、基本方針を定めました。課外活動を通じて学生生活の楽しい想い出を遺すことができるように最大限配慮することと、コロナ禍によるコミュニケーション不足を課外活動で少しでも補足できるよう配慮すること、の二つです。
「新型コロナウイルス感染防止に向けた学生の行動指針」をもとに、年末には流行が一段落したこともあり、活動制限の緩和や活動時間の延長(コロナ前の状態にできるだけ戻す)を進めてきました。一方、医学部は附属病院に隣接し、上級生は病院での実習を行うことから、ワクチン接種や県外への移動に制限があることを説明し、特に食事(打上げ)の際の感染リスクについて、説明を繰り返してきました。学生さんからは、「もっと活動範囲を拡げたい、許可して欲しい」という意見と、「医学部の対応は十分ではない、このままでは不安だ」という意見が寄せられています。私たち学生支援チームは常に学生の側に立ち、できるだけ面談の機会を持ちたいと考えています。一方、残念ながら大学からの連絡事項を聞き入れない学生もいます。不自由な環境にあるのは決して学生だけではありません。どうしてそうなったのか、大学で学んだ微生物学や免疫学、感染症学の知識をもとによく考えて下さい。それでも疑問に思うことがあれば、質問に来てください。
今年に入り第6波の感染拡大が生じました。新たな変異株は感染力が強く、一層の感染予防対策に努める必要が生じています。この原稿を書いている31日現在、活動範囲を拡げることは難しい状況が続いていますが、近い将来、必ずや感染症を克服できる日が来ます。新入生を対象とする行事の準備も着々と進めています。課外活動の楽しい想い出をつくり、学生間のつながりを失うことのないように、力を合わせてこの困難に対処していきましょう。(福井大学医学部広報誌「くずりゅう」に掲載)

最近の読書案内(2015年11月)

週末の移動時間は静かな読書の時間に充てている。この1年間に読んだ本の中から印象深かったものを挙げてみた。
「ネアンデルタール人は私たちと交配した/スヴァンテ・ペーボ/文藝春秋」技術の進歩とそれを見越した先見の明。科学的に正しい判断力。異なる分野を専門とする読者の理解の助けになるだろう。物語は医学生だった頃の素朴な疑問点から出発し、ついには世紀の大発見へとつながる様子が、私生活も踏まえ生き生きと描かれている。著者の生まれたウプサラの街、映画ミレニアムの舞台ともなった美しい街の情景も思い浮かぶようである。
「伊四〇〇型潜水艦-最後の航跡/ジョン・J-ゲヘーガン/草思社」つい最近まであまり知られていなかった小さな歴史の一ページを、膨大な取材と資料の読み込みにより完成した精緻な物語。上下間の大部構成と脚注は物語というよりも論文の体を成している。書かれていたのは、無謀な戦争と生きている人間の証、たった七十年前でしかない日本とアメリカの姿である。
「霧笛荘夜話/浅田次郎/角川文庫」7つの部屋、住人たちのストーリー、時間の流れ、非日常の世界、久し振りに面白い小説を読んだ。浅田次郎の夜話はどれも面白いが、本作は全体で一つの話になっていて、映像が瞼に浮かぶよう。登場人物のスタッフをあれこれ考えるのも楽しい。
「捏造の科学者/須田桃子/文芸春秋」三宮のジュンク堂で購入し一気に読了した。サイエンスの時事問題に語ることの難しさ、それにより人文科学領域の専門家が理系の最先端の内容の本質を考えることの重要性を改めて認識させた内容である。この事件が科学コミュニティに与えた影響は大きく、また緻密で正確な本書の記述は、私にとって理系の教養とは何なのかを感じさせるものだった。

2022年10月4日 追記:2022年度のノーベル医学生理学賞に「ネアンデルタール人は私たちと交配した」の著作でも知られるドイツ・マックス・プランク進化人類学研究所のスヴァンテ・ペーボ教授が決定しました。プレスリリースはこちらから(英語)。

白血病の新しい治療法とSyk(2015年5月)

個人購読している「Nature」誌に久し振りにSykの論文が掲載された。白血病(リンパ腫の一つであるALL)の治療について、分子標的治療薬とは正反対のアプローチと臨床応用への考察である。
Bcr-Abl(染色体の転座により生じる強力なチロシンキナーゼ)を選択的な薬剤imatinibで阻害することにより発癌性シグナルを抑制するのは、現在主流となっている分子標的治療の考え方であり、他のチロシンキナーゼについても同様の研究と臨床応用がなされている。
今回米国UCSFの研究チームは、チロシンキナーゼSykを阻害ではなく、過剰に活性化してアポトーシスを誘導し、プレBCR(未熟なB細胞抗原受容体)下流のシグナル伝達を増強して、胎生期のnegative selection(負の選択)と同様の機序により癌細胞が除去させることにより、新たな癌細胞の抑制機序を見出した。この知見を応用し、臨床的に問題となっている薬剤耐性ALL(acute lymphoblastic leukemia)に対する新たなチャレンジができるのではないかと考えた。まさに逆転の発想である。
医学生対象の講義でも扱うが、プレBCRは自己抗原に対して強く反応することにより細胞死に陥り、この負の選択機構は免疫学的な自己の確立につながる。病的なALLの細胞では正常なBCRのサブユニットであるIgαとIgβが発現しておらず、imatinibを用いた実験によりSykなどの細胞内チロシンキナーゼはBcr-Ablの下流にあると考えられる。すなわち、ALL細胞ではBCRのシグナル経路がITAMを介することなくある程度補完されていることを意味する。
論文の図を見ていると、EBウイルスタンパク質であるLMP2Aが癌化のプロセスでSykなどのチロシンキナーゼをユビキチン化により除去することも述べられている(1998年にJ. Virol誌に掲載された論文を思い出す)。
これらの活性化分子に対し、ALL細胞に発現する分子を網羅的に解析したところ、抑制性受容体であるPECAM1、CD300A、LAIR1などのITIMの高発現が認められた。さらにこれらの下流の分子として抑制性ホスファターゼであるPTPN6やSHIP1が同定され、これらの働きが発癌性に関わることが示された。低分子化合物により抑制性分子を阻害することでSykの過剰な活性化を誘導させる、今回の論文のハイライトはまさにその点にある。
Sykと癌については、古くは乳癌の抑制因子として(Nature 2000)、またSyk阻害薬による白血病の分化誘導療法(Cancer Cell 2009)、網膜芽細胞種におけるエピジェネティックな調節異常などが報告されてきたが(Nature 2012)、本論文はそれに新たな展開を加えるものであり、大変興味深いものである。癌化シグナルの閾値についての議論もなされているので、後日さらに詳しく調べてみようと思う。

実験とワイン作り(2015年1月)

「私どもの研究室では実験手技上の秘法はなく、真摯に取り組み研究者であれば誰もが出来る実験の確立を目指して努力してきた。この目的を達成するには、それぞれの研究者が一般的なプロトコールに従って実験を進めるのみでなく、実際に実験を進める途上での行き詰まりを打開するために時間を割き、実験結果の再現性をあげるのに大変な努力を積み重ねてきた。・・・それぞれの研究者が自らのプロトコールに経験上の注釈を入れ、教室自身のプロトコールを作り上げることを提唱してた。」(豊島久眞雄 秀潤社 新細胞工学実験プロトコール 序文)
この文章には大切な事柄が触れられている。バイオ研究に欠かせない実験には、再現性が非常に重要である。同じ試薬、同じ方法で実験を行えば、世界の何処でも同じ結果が得られなければならない。しかしながら単にプロトコール通り実験したといって期待される結果がたちまち得られるものではなく、これには習熟と経験、そしてミスを防ぐ集中力と情熱が必要である。
実験に「上手、下手」というのは確かに存在するようである。バックグラウンドや様々なアッセイで得られる結果の強弱に違いが見られる。腕の違いとでもいうのか、同じ研究室の中でも個人差が見られる。さらに、研究室が違えば実験器具も異なり、細胞や試薬の調整方法、細かい実験手技も違うだろう。例えとして適切かどうかだが、同じブドウを使って同じ原理で作っているワインが、ワイナリーによって全く異なるのと似ている。ブドウからの抽出方法は、方法や時間、強度などに様々な違いがあり、抽出量を単に上げればよいというものでもなく、それぞれが不完全な抽出法であり、さらに発酵や熟成の作業方法がワイナリー毎に異なることから味や風味に異いが生じていると言える。そしてすべての工程には年余にわたる試行錯誤の末の細かい経験上の注釈が存在し、その絶妙なバランスの上に、ワインの味は結実している。
新しい実験を自分の手で確実に行えるようになるために、研究者は日々努力を積み重ねている。ものを言わない遺伝子や細胞を相手にコツコツと時間を費やし、新しい知見を得るために途方もない努力を積み重ねていく。こうした状況を理解した上で、これからを担う医学生諸君に、「何が面白くて研究なんかしているんですか?」、「毎日何が楽しいんですか?」と問われた時に、シンプルで分かりやすい答を教員側が用意しておくことが求められているようである。
ところで最近、イタリアで私と同じ姓(Sada)のオーナーが所有するワイナリーがあることを知った。その名もサダ・ワイン(Sada wine)、日本では未発売である。ワインボトルの写真を見ると、まるで自分がオーナーになったような気持ちにさせられる。引退後に自分のワイナリーを持つという夢はもう叶ってしまったかのようだ。

大学の研究室に通ってみよう(2014年4月)

全国の医学部では、医学生の身分でありながら、博士課程の大学院生のように研究室に通うことが可能であり、本学医学部も開学以来、その伝統が続いています。ご存知のように医学部では、文系の「ゼミ」や理系の他学部における「卒業研究」がないため、基礎系・臨床系を問わず、学生さんが研究室に出入りする機会がないまま卒業することになります。そこで、在学中に研究の最前線を体験してみたいと思う諸君には、そのチャンスが用意されています。教科書には載っていない最新の科学に直接触れて、世界の最先端に立って自らのアイデアで研究を行うことができます。さらに学会で発表することや英文論文の著者になることさえ可能です。医学部教授のなかには学生時代に研究室に出入りしていた経験を持っている人が少なからずいます。
研究室を見つける方法ですが、大学院博士課程のパンフレットを参考にしてみるのも一つです。難しくてわからないことばかり書いてあるかもしれませんが、直接教授に会って話してみることをお勧めします。研究室に通う方法は様々ですが、3年生になると「研究室配属」というカリキュラムがあり、そこで1ヶ月間じっくりと取り組むことも可能で、海外の研究室へ行くこともできます。折角の大学生活、クラブ活動やアルバイト以外に、じっくりと学問をしてみるのも一つの選択肢です。大学教員や研究者としての将来を考えている諸君には、多忙な上級生になる前に、研究室の中に入ってその雰囲気を味わっておくことをお勧めします。
そして、ある程度研究がまとまってきたら、この冬福井で開催される四大学リトリートに参加してみましょう。11/29~30、京都大学医学部、滋賀医科大学、神戸大学医学部と合同で、研究室に通っている大勢の学生と交流しましょう。また一流の研究者の話を聞いて、これからの人生の参考にして下さい。皆さんの参加を心待ちにしています。(四大学リトリート説明会資料より一部改変)

Syk阻害薬と関節リウマチ(2013年9月)

関節リウマチの新しい治療薬として、米国におけるチロシンキナーゼSyk阻害薬の治験が本邦の臨床家の間で強い関心を集めてきた。私はSykを発見した研究室OBの一人として、Sykとはどのような分子なのか、生理的役割と病気との関わりについてはどのようなことがわかっているのか、さらにSyk阻害薬開発の歴史と現状について、様々な機会でご紹介させて頂いてきた。
フォスタマチニブ(R788)は、臨床治験段階に進んだ最初のSyk阻害薬であり、生物学的製剤に替わる新しい低分子化合物として、ここ数年非常に注目されてきた。ところが本年4月以降、このフォスタマチニブの第III相試験の結果が、開発にあたった製薬会社のweb page上で公開され、関節リウマチの治療に一定の有効性は示したものの、治療薬としての効用は限局的であり、他の先行する薬剤に対する有用性の検討を経て、新薬としての開発が断念されたことが報じられた。さらに安全性についても、高血圧、感染、下痢など重篤な副反応が認められた。そもそもフォスタマチニブの標的分子であるSykは血液免疫系に高発現し、自然免疫や獲得免疫系の分化と生理機能に重要な役割を担っている。この新薬がもし承認されれば長期間の投与が予想され、感染症のみならず、発癌や癌転移をも含む様々な副作用が生じることが懸念されていた。
現在米国では、経口・皮膚・点眼Syk阻害薬が開発され、臨床治験が進行中である。フォスタマチニブは関節リウマチとリンパ腫の治療薬としての開発は断念されたが、すでに第II相試験を終了し有効性が確かめられている特発性血小板減少性紫斑病(ITP)に対する第III相試験を開始することが発表された。またフォスタマチニブ以外のSyk阻害薬としては、R333(JAK/Syk阻害薬R348のactive metabolite)は円板状エリテマトーデス(Discoid Lupus)の皮膚用治療薬として、R348はシェーグレン症候群などによるドライアイの眼科用治療薬として、ともに第II相試験が進行中である。
関節リウマチの病態におけるSykの重要性は疑うべくもなく、Sykはこれからも治療薬開発のターゲットとして重要な分子であると考えられる。しかしながらSykの多彩な生理作用とそれを阻害することによる副作用を考慮すると、できれば病的な状態にあるSykだけに作用するような新しいSyk阻害薬、従来とは異なる作用機序によるSyk阻害薬の開発がこれからも望まれると考えられる。(詳細は近日発表予定の和文総説に掲載します)

感染症の研修会に参加して(2012年11月)

付属病院の医療環境制御センター研修会(感染制御部門研修会)に参加し、現富山県衛生研究所所長の講演会に参加した。テーマは日本での症例が極めて限られている「狂犬病」についてである。このRNAウイルスの「病原性」は何が規定しているのか、また免疫系からエスケープするメカニズム、さらには短時間でヒトを死に至らしめるメカニズムはどのようになっているのかを考えながら拝聴し、とても興味深かった。
同じ地球上で命を授かり、「ヒト」として進化してきたわれわれが、たまたまこの時代に感染する性質を持つことにより運命が交差することになった「ウイルス」によって病気が引き起こされることとは、何と偶然で奇妙な巡り合わせかとつくづく思う。医学部ではヒトに病原性を持たないウイルスはあまり講義しないために、尚更そう思うのかも知れない。
ウイルスからヒトへの「感染性」を規定するものは何か、また「種特異性」や「臓器特異性」を決めるものは何かついてはかなり調べが進んでいて、C型肝炎ウイルスの場合は細胞表面にあるレセプター(受容体)や、また肝細胞の内部への取り込みのメカニズムが詳細に明らかになっている。レセプターといってもそれはホルモンや神経伝達因子のレセプターとは異なり、互いに「ヒト」の体の一部としてあらかじめプログラミングされたものではなく、たまたまこの時代に、別の生き物であるウイルスが利用する性質をヒトが備えているというだけのことである。換言すればそうする性質を持ったことにより、ウイルスは生きながらえた、あるいは進化してきたといえる。
では「病原性」についてはどうかというと、現在様々な研究が進行中である。ウイルスが感染することにより、「宿主(ヒト)」になぜ病的変化が生じるのかを調べるには次のような方法がある。感染した細胞と感染していない細胞、さらには癌化した細胞からメッセンジャーRNAやタンパク質をサンプリングして、量に変動があるものを片っ端から調べていこうという方法、もう一つはウイルスタンパク質に相互作用する宿主の分子を片っ端から同定し、その影響を調べていこうという方法である。ウイルスを感染させる・感染させないという点を除くと、これはもうウイルス学から離れて、生化学・分子生物学の研究法であるといえる。
これらの実験を通じてわれわれは非常に多くの知見を得ることができる。膨大なデータの持つ意義を調べるにあたっては、感染免疫学や内科学(病態論)についての理解が必要となってくる。従来のような生理的意義:生体内のメカニズムの常識のようなものはあまり参考にならない。ヒトの体内でウイルスがどのように振る舞うのかを合理性だけで考えることには自ずと限界があり、むしろ沢山の、まるで意味がない身勝手な振る舞いの中から、最も病原性に本質的なものが何であるかを見出すことが、われわれウイルス学・生化学・分子生物学の研究者の仕事であると考えている。

読書友達はいますか?(図書館フォーラム9号より)

本来の仕事以外のことで、最近読んだ本について話し合える友達がいることは、とても楽しいことである。最初に紹介するのは、「本を読まないと老化する」という意味深な帯のついた、定年と読書―知的行き方を目指す発想と方法―(鷲田小彌太著 文芸社文庫)。人文系の大学教授であった著者が、私のような理系の人間に読書の楽しさと必要性を説いているように思える。毎日の生活の中で読書を習慣として取り入れることの重要性が書かれており、定年退職後に時間が出来てからではなく、定年にはまだまだ時間がある人や(私は現在45歳、福井大学の定年まであと20年もある)、本学の学生さんにとっても参考になる一冊ではないかと思う。本を読むことで個人が経験し理解しうることを遙かに凌駕する、深くて実りあるたくさんの人生経験を積むことができる。特に自然豊かな松岡キャンパスは、周囲に人が少なく非常に狭い人間関係の交流だけに陥いる。この環境では、読書は不可欠であるといえる。また、読書友達との交流は、前向きで心豊かな時間を過ごすことにもつながっていく。
私が読みたい本に出会うのは、週末の新大阪駅の書店で目に留まる時が多かったが、最近は読書友達から勧められて読むことも増えてきた。これまで自分が食わず嫌いだったジャンルでも、その友人達の巧みな書評や話術(?)のせいで、読んでみようかな、と思えばしめたもので、どんどん深まっていく。私は決して活字中毒ではないが、友人の推薦というのは案外素直に信じてみるタイプのようである。沙高樓綺譚(浅田次郎 徳間文庫)は、いくつかのショートストーリーによって構成され、それぞれがあらゆる分野のエキスパートである語り部による夜話や怪談というスタイルをとっていて、本当の話なのか、まったくの作り話なのかわからないような、不思議な雰囲気を醸し出している。この著者の本は大部作もある一方で、すっ惚けた軽めの小説もあり、両方楽しむことができる。夕食の後のゆったりとした時間をこうした本を読んで過ごすことができたらと思う。歴史について、最近の出来事としては、旧ソ連の解体と冷戦の終結がある。自壊する帝国(佐藤 優 新潮文庫)は当時外交官であった筆者による現代史の物語である。この著者の本は何冊か読んだが、自分の仕事についてストーリーを立てて語っていることや、さまざまな人との交流を通じて垣間見える歴史の断面、さらにもし本の内容がすべて事実とすれば、いったい頭の中がどうなっているのかと思うほどの膨大な記憶力が印象に残る。
書店では今年のNHK大河ドラマ「平清盛」に関する本が平積みにされている。私が今読んでいるのは平家物語(宮尾登美子 文藝春秋)である。歴史としてではなく、現代と変わらぬ人間模様がえがかれ、1000年前の人物がとても身近に思える。複雑な登場人物の関係を解説書片手に読んでおり、読書と言うより調べ物に近くなってきた。なぜそうなったのかというと、私の自宅(神戸市)周辺がまさに源平の地であり、それにちなんだ名称も数多く残っていることが挙げられる。神戸港(兵庫区)は日宋貿易を経て発展した大輪田泊であり、平清盛の別荘があったという雪見御所も、かつて息子が通った保育所の隣である。その北側には平野商店街があり、かつて福原の都があった場所と伝えられている。その山あいを西に進むと合戦の地「鵯越(ひよどりごえ)」「一ノ谷」がある。休日の朝は本を片手に、ゆるやかな坂が続く平家ゆかりの地を散策してみた。本を読むことと、例えばウォーキングのような運動を結びつけること(歴史ウォーキング)を身の回りでも実践してみよう。ただし、くれぐれも歩きながらの読書は慎もう。
出張の移動時間はとにかく読書に限る。これだけまとまった時間を、何も考えずに過ごすのはもったいない。大阪までならサンダーバードでの往復で単行本1冊。太平洋を横断する飛行機では(時差ボケで早起きしてしまい、その後なかなか眠れないホテルでの早朝の時間も加えると)単行本4冊は読める。どんな服を着ていこうかと考えるのと同様に、どんな本を出張に連れて行こうかと考えることはとても楽しい。そのためのとっておきの1冊に、読書友達が推薦してくれた書も加えてみよう。(2022年4月、内容を一部改変しました)

入局のご案内(2012年1月11日)

近年の臨床研修制度の改訂や、大学における若手教員ポストの削減は、医学部を卒業した学生の都会志向も相まって、基礎医学者を目指す者の数が激減するに至り、今や基礎医学研究者は「絶滅危惧種」扱いという冗談とも言えない状態である。何故だろうか?卒業した若者が一律に臨床医を目指して同じ方向を向いて旅立っていく現状に、我々も医学生に対して知的好奇心に十分に答えてきたのかと自問することがある。サイエンスの面白さは一度とりつかれると決して離れられない。残念ながら、その経験をすることなくほとんどの学生は基礎医学のコースを終えていく。未来を担う基礎医学研究者の育成は、我々にとっての大きな課題である。
研究者の教育の第一歩は、出来るだけ高いレベルの研究室で、教員と問題意識を共有し、一緒に実験に取り組み、結果をディスカッションし、一つのプロジェクトを論文としてまとめ上げることにある。学位を有することがプロの研究者としてのスタートラインであると言われる所以である。すべての大学が旧帝大のような研究を進めるのではなく、我々の大学には我々の道があり、卒業生にとっても本学の研究レベルは決して低くないことを知って欲しい。もちろん、より高い志をもって他大学の大学院に進み、烽火をあげることも是なりと思う。
今や基礎医学の領域は、微生物なら微生物だけを研究すればよいという時代ではない。どんな領域であっても、分子生物学・免疫学・病理学・解剖学・微生物学の最先端の業績を読み、新しい技術を取り入れ、それを吸収して自分の研究に取り入れていくことが不可欠である。DNAのコンストラクションも作れないのは、臨床医学の現場でサーフロー針を入れることができないのと同じである。私はこれまで多くの研究施設を経験してきたが、本学では既に世界トップジャーナルに研究成果を報告した研究室が複数あり、若手研究者にとっても十分刺激的であることを強調したい。都会の研究室に比べ十分な広さのある実験室があり、さらに他大学にはない支援センターのサポートシステムがある。
深夜、実験に集中していると、研究室の壁を見ていてふと思うことがある。研究には国境がない。同じ材料と試薬を使えば世界の何処でも同じ結果が得られ、研究成果は世界と共有されたものである。壁の向こうには世界の研究者が大勢いる。明日のライバルが、地球上のどこかで我々の論文を真剣に読んでおり、同じ研究目的を持つ者同士、時空を超えて共有するものがある。後学諸君も、世界を相手に、自分のアイデアをデータとして具現化し、ロジックを鍛え、全世界に向けて福井から情報発信してほしい。
これらの研究の出発点となったのは、現在の「研究室配属」と同様に、私が医学生時分に基礎医学講座に通ったことである。当時研究を始めた分子は後の「Syk」であり、私の名前も発見の第一報に著者として掲載されている。教育を担当する立場にも立つ今、若手研究者の育成にも十分力を注いでいきたいと考えている。当研究室では、大学院生はもちろん、医学生諸君の研究参加も歓迎する。

ゲノム科学・微生物学研究室

TEL
0776-61-3111
FAX
0776-61-8104
Webサイト
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